2014-10-18

村野藤吾-懐かしいファサード

村野藤吾(1891-198)が、大阪の都市景観、言わば大阪のファサードを彩った時代がある。その建築物は大阪の顔にあたる梅田、ミナミ、天王寺、船場に出現することが多いため大阪のファサードと言って過言ではない。
大阪に活動の拠点を置いた村野藤吾は、梅田阪急前に「梅田吸気塔」、御堂筋に「新歌舞伎座」「そごう」、天王寺・阿倍野に「アポロビル」「阿倍野センタービル」、上本町に「シェラトン都ホテル大阪」「近鉄ターミナルビル」を、また船場に「フジカワビル」「森田ビル」「輸出繊維会館」などを設計し、ナニワの街に綺羅星の如く名建築を散りばめた。 昭和時代、特に高度成長期に建てられた村野建築も時間という物理に従い老朽化し、閉鎖、解体が進む。形あるものはいつか滅びるのだから仕方ないことだが、ここでは、私の好きだった建築を二つ、難波の御堂筋にシンボル的存在だった新歌舞伎座とその時代をまさに象徴する千里センタービルを紹介しよう。

村野藤吾が、施主から歌舞伎にちなんだ桃山調の劇場を建築するよう依頼され設計した。
かつて難波の名所として御堂筋にその威容を誇った新歌舞伎座は、現存するものの劇場としての役割を終えている。(天王寺・上本町YUFURAに移転)
村野建築、特にホールや劇場にはモダニズムと様式性の共存が見られることがあり、新歌舞伎座の場合は、日本の伝統的な様式のモチーフを反復させた結果、正面が抽象的な一枚の面に感じられるという形で、モダニズムと様式が共存している。 建物正面の頂部に大きな千鳥破風を載せ、壁面には通常は建物に一つだけ取り付けるはずの唐破風が連続的に反復する他に例を見ない独創的なデザインだ。正面に設けられた唐破風が連続していることにより、逆に軽やかさとスマートさを取り入れているかのようなファサードが印象的だ。
 
大阪市中央区難波4-3-2
設計:村野藤吾/村野・森建築事務所
竣工:昭和33年(1958)
施工:大林組
構造:RC造(一部鉄骨造)、地上5階・地下2階


リズミカルな連続窓のPCカーテンウォールが美しい千里南地区センタービルとその竣工12年後に増築された千里市民センタービルは、巨匠村野藤吾が手掛けた千里ニュータウン・千里南地区を代表する建築物であるとともに、この地区の時代の原風景の一部とも言える作品だった。
しかし、千里ニュータウンの市民に親しまれてきたこのビルは、保存運動も実らず、老朽化を理由に解体された。
ファサードの特徴は、パターンが異なる窓を交互に配した開口部にある。建物に複雑なリズムを与える村野らしいデザインだった。千里ニュータウンの開発に合わせて完成した阪急南千里駅前の公共・商業施設、吹田市の派出署や銀行、郵便局、図書館、プラネタリウムなどが入居する千里ニュータウン南地区の中心的施設として利用されてきた。
 
大阪府吹田市津雲台1-1-D1,D2
設計:村野藤吾/村野・森建築事務所
竣工:昭和39年(1964)
施工:奥村組
構造:地上4階・地下1階


懐かしくも惜しくもあるのだが、時間の流れに逆らえるものは無いのであろう。 しかし、村野藤吾に対するリスペクトは時を経ても変わらない。

今月は幾つか、大阪の村野建築を紹介する。

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