2016-08-05

ピカチュウの巣@堺・大浜公園


ポケモンGO(PokémonGO)が日本で配信されて私も毎日楽しんでいるが、8月2日ついにピカチュウを堺市の大浜公園でゲットした。
前日に扇町公園で噂を聞いてすぐにゲットできた。


2015-04-30

二代目吉田玉男襲名披露口上

東京・国立劇場小劇場で5月9日から開幕する5月文楽公演でも大阪・国立劇場での「新玉男」襲名披露と同じ外題(演目)「一谷嫩軍記」が上演されます。
今回は大阪・国立文楽劇場で執り行われた「二代目吉田玉男襲名披露口上」の模様、実感を述べる。

伝統芸能の襲名披露口上の様式、やりかたは昔から変わらないはずなので今回、文楽の襲名披露口上を是非観たかった。文楽の場合は歌舞伎と違って名跡を襲名した本人は中央に座っていても口上を述べず、太夫、三味線、人形遣いの各技芸員の代表が舞台で挨拶する。昨年引退した竹本住大夫が七世住大夫を襲名する時の様子をテレビで観たが、やはり同じだった。
文楽は永い歴史をもつ舞台芸術なので、5代を超える大きい名前がたくさんある。それにもかかわらず、今回の吉田玉男襲名はわずか二代目というのが初代の凄さを物語っている。一代で「玉男」の名前を大きくした初代は戦後文楽のスーパースターだったということが理解できる。

同期の桐竹勘十郎、吉田和生は前列中央の二代目吉田玉男の下手(舞台向かって左)、中央を挟んで右に技芸委員太夫の代表として豊竹嶋太夫、そして三味線から鶴澤寛治が並び挨拶した。後列には、二代目玉男の弟子、門弟がずらりと揃い背景は玉男の紋で埋められていた。
二代目は若い時にアルバイトから文楽座の一員となってなっている。三味線の人間国宝鶴澤寛治はその点を「かわいらしい子供がこんなに立派に…」とあいさつの中で語った。これからともに文楽の中枢になるであろう同期の勘十郎は、挨拶の中で、良き友・良いライバルという言葉を使って、文楽の今後を同期の3氏で担っていこう、責任をもってやるのでどうかよろしくという意味の祝辞を述べていた。
司会は、竹本千歳大夫で口上最後の「ユネスコ世界遺産・文楽ならびに国立文楽劇場、また吉田玉女改め二代目吉田玉男を、ひとえに乞い願い奉ります…」がやはり上手かった。さすがだ。


このたび、文楽座の師匠・先輩方、初代玉男師匠のご子息のお許しを得、文楽協会、日本芸術文化振興会にご賛同をいただきまして、来年4月大阪公演、同5月東京公演にて師匠の名跡を継がせていただき、二代吉田玉男を襲名することといたしました。
昭和43年の入門以来、約半世紀をかけて「女」から「男」へと変わります。年月が過ぎるごとに、師匠の芸の大きさを実感する一方で、師匠のされてきたことが私にそのまま出来るとは思いませんが、師匠の解釈を継承し、またこれまでの経験を活かし、これからも一層精進を重ねて参ります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

吉田玉女
-平成26年(2014)10月27日シェラトン都ホテル大阪(大阪・天王寺区)


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


2015-04-24

一谷嫩軍記<二代目吉田玉男襲名披露狂言>

大阪・国立文楽劇場、4月文楽公演で上演された「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。またこの外題(演目)は二代目吉田玉男襲名披露狂言と銘打って上演された。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

一谷嫩軍記
熊谷直実は一谷の合戦で息子の小次郎と同年輩の平敦盛を討ったことに無常を感じ、出家したいという俗説の真相に迫るのがこの作のねらいです。宝暦元年(一七五一)十二月大坂豊竹座で初演、作者の並木宗輔(千柳)の絶筆です。熊谷は初代玉男の当たり役のひとつで、新玉男にとっては大阪の本公演では初演です。

熊谷桜の段
物語の鍵となる制札の説明からはじまり、熊谷夫婦の意外な過去と敦盛の母藤の局との関係が明らかになり、運命の糸に引き寄せられるように、熊谷の陣屋に人々が集まって来ます。

熊谷陣屋の段
わが子の敵と迫る藤の局に、熊谷は敦盛を討ち取った状況を物語り、軍記物語の世界が鮮やかに再現されます。一方この間、藤の局・相模双方の反応を熊谷は探っていますが、その意味は後半に判然とします。義経の御前で、首実検に供える熊谷が制札とともに差し出した敦盛のは、小次郎のものでした。熊谷は制札の文言に込められた義経の意向を酌み、小次郎を身代わりにして敦盛の命を守ったのです。義経により弥陀六は前身を宗清と明かされ、現在と過去が繫がります。この芝居の中では中世の軍記物語の人物は、近世の封建社会に生きる人間で、武士道を貫くため人としての幸せを犠牲にし、その苦しみを業として受け止めて生きて行くのです。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


2015-04-23

卅三間堂棟由来

大阪・国立文楽劇場の4月文楽公演で上演された「卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」は文楽ファンなら一度は観る価値のある外題(演目)だろう。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

卅三間堂棟由来
後白河法皇と霊場熊野との関係を解く三十三間堂の縁起と念仏行者平太郎の熊野参詣説話を融合した「祇園女御九重錦」から、輪廻転生した夫婦の因縁と家族の別れに絞った部分をご覧いただきます。

平太郎住家より木遣り音頭の段

進ノ蔵人の訪問は、法皇の病平癒のために建立する三十三間堂の棟木にするため、柳の大木を伐り出す途中のことで、お柳の心を動揺させます。
夢うつつの平太郎に、お柳は自分の正体を、平太郎が前世で梛(なぎ)の木であった時連れ添った柳の精と明かします。夫婦親子の恩愛を訴える平太郎の声に、一度は姿を消したお柳は再び姿を現し、出世の種となる法皇の前世の髑髏を託します。平太郎とみどり丸親子が、お柳との別れを惜しむ木遣り音頭の部分は、義太夫節の名曲のひとつです。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

2015-04-21

靭猿

狂言「靭猿」を人形浄瑠璃に仕立てた作品で、おめでたい雰囲気と人形ならではの表現が非常に面白い。演奏には次に続く二代目吉田玉男襲名披露口上にむけての祝祭性を感じた。
以下に簡単な物語の進み行きを紹介する。当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

靭猿
狂言「靭猿」が近松門左衛門作「松風村雨束帯鑑」の劇中劇として伝えられたもの。野遊山に出た大名と太郎冠者は猿曳きに出会います。大名の要求に屈した猿曳きは、断腸の思いで猿に手をかけようとしますが、芸をはじめる猿の様子に奇跡が起こります。御幣を持った猿の舞いは、猿曳きが行っていた武家の厩の厄払いをうつしたものです。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段