明治24年(1891)、佐賀県唐津市に生まれた村野藤吾は、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業後、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、活動の拠点を大阪に置いた。 旧礼拝堂(会堂)と塔屋(教会塔)は無事に戦火をくぐり抜けたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧礼拝堂(会堂)を取り壊すことになった。その際、村野は「私の長男」と呼んで強い愛着を示したというエピソードが残っている。 そして昭和56年(1981)に新礼拝堂(会堂)が建築されたが、こちらも当時90歳の村野の手によるもので、彼の宗教建築最後の作品となった。つまり南大阪教会は、村野藤吾の処女作である塔屋(教会塔)と最晩年の作品である新礼拝堂(改修)とが一望できる貴重な建築物であるということができるのだ。
大阪市阿倍野区阪南町1-30-5
竣工:昭和56年(1981)-改築
設計:村野藤吾
施工:奥村組 構造:RC造1階(一部鉄骨造)
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