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2015-04-30

二代目吉田玉男襲名披露口上

東京・国立劇場小劇場で5月9日から開幕する5月文楽公演でも大阪・国立劇場での「新玉男」襲名披露と同じ外題(演目)「一谷嫩軍記」が上演されます。
今回は大阪・国立文楽劇場で執り行われた「二代目吉田玉男襲名披露口上」の模様、実感を述べる。

伝統芸能の襲名披露口上の様式、やりかたは昔から変わらないはずなので今回、文楽の襲名披露口上を是非観たかった。文楽の場合は歌舞伎と違って名跡を襲名した本人は中央に座っていても口上を述べず、太夫、三味線、人形遣いの各技芸員の代表が舞台で挨拶する。昨年引退した竹本住大夫が七世住大夫を襲名する時の様子をテレビで観たが、やはり同じだった。
文楽は永い歴史をもつ舞台芸術なので、5代を超える大きい名前がたくさんある。それにもかかわらず、今回の吉田玉男襲名はわずか二代目というのが初代の凄さを物語っている。一代で「玉男」の名前を大きくした初代は戦後文楽のスーパースターだったということが理解できる。

同期の桐竹勘十郎、吉田和生は前列中央の二代目吉田玉男の下手(舞台向かって左)、中央を挟んで右に技芸委員太夫の代表として豊竹嶋太夫、そして三味線から鶴澤寛治が並び挨拶した。後列には、二代目玉男の弟子、門弟がずらりと揃い背景は玉男の紋で埋められていた。
二代目は若い時にアルバイトから文楽座の一員となってなっている。三味線の人間国宝鶴澤寛治はその点を「かわいらしい子供がこんなに立派に…」とあいさつの中で語った。これからともに文楽の中枢になるであろう同期の勘十郎は、挨拶の中で、良き友・良いライバルという言葉を使って、文楽の今後を同期の3氏で担っていこう、責任をもってやるのでどうかよろしくという意味の祝辞を述べていた。
司会は、竹本千歳大夫で口上最後の「ユネスコ世界遺産・文楽ならびに国立文楽劇場、また吉田玉女改め二代目吉田玉男を、ひとえに乞い願い奉ります…」がやはり上手かった。さすがだ。


このたび、文楽座の師匠・先輩方、初代玉男師匠のご子息のお許しを得、文楽協会、日本芸術文化振興会にご賛同をいただきまして、来年4月大阪公演、同5月東京公演にて師匠の名跡を継がせていただき、二代吉田玉男を襲名することといたしました。
昭和43年の入門以来、約半世紀をかけて「女」から「男」へと変わります。年月が過ぎるごとに、師匠の芸の大きさを実感する一方で、師匠のされてきたことが私にそのまま出来るとは思いませんが、師匠の解釈を継承し、またこれまでの経験を活かし、これからも一層精進を重ねて参ります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

吉田玉女
-平成26年(2014)10月27日シェラトン都ホテル大阪(大阪・天王寺区)


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


2015-04-24

一谷嫩軍記<二代目吉田玉男襲名披露狂言>

大阪・国立文楽劇場、4月文楽公演で上演された「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。またこの外題(演目)は二代目吉田玉男襲名披露狂言と銘打って上演された。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

一谷嫩軍記
熊谷直実は一谷の合戦で息子の小次郎と同年輩の平敦盛を討ったことに無常を感じ、出家したいという俗説の真相に迫るのがこの作のねらいです。宝暦元年(一七五一)十二月大坂豊竹座で初演、作者の並木宗輔(千柳)の絶筆です。熊谷は初代玉男の当たり役のひとつで、新玉男にとっては大阪の本公演では初演です。

熊谷桜の段
物語の鍵となる制札の説明からはじまり、熊谷夫婦の意外な過去と敦盛の母藤の局との関係が明らかになり、運命の糸に引き寄せられるように、熊谷の陣屋に人々が集まって来ます。

熊谷陣屋の段
わが子の敵と迫る藤の局に、熊谷は敦盛を討ち取った状況を物語り、軍記物語の世界が鮮やかに再現されます。一方この間、藤の局・相模双方の反応を熊谷は探っていますが、その意味は後半に判然とします。義経の御前で、首実検に供える熊谷が制札とともに差し出した敦盛のは、小次郎のものでした。熊谷は制札の文言に込められた義経の意向を酌み、小次郎を身代わりにして敦盛の命を守ったのです。義経により弥陀六は前身を宗清と明かされ、現在と過去が繫がります。この芝居の中では中世の軍記物語の人物は、近世の封建社会に生きる人間で、武士道を貫くため人としての幸せを犠牲にし、その苦しみを業として受け止めて生きて行くのです。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


2015-04-23

卅三間堂棟由来

大阪・国立文楽劇場の4月文楽公演で上演された「卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」は文楽ファンなら一度は観る価値のある外題(演目)だろう。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

卅三間堂棟由来
後白河法皇と霊場熊野との関係を解く三十三間堂の縁起と念仏行者平太郎の熊野参詣説話を融合した「祇園女御九重錦」から、輪廻転生した夫婦の因縁と家族の別れに絞った部分をご覧いただきます。

平太郎住家より木遣り音頭の段

進ノ蔵人の訪問は、法皇の病平癒のために建立する三十三間堂の棟木にするため、柳の大木を伐り出す途中のことで、お柳の心を動揺させます。
夢うつつの平太郎に、お柳は自分の正体を、平太郎が前世で梛(なぎ)の木であった時連れ添った柳の精と明かします。夫婦親子の恩愛を訴える平太郎の声に、一度は姿を消したお柳は再び姿を現し、出世の種となる法皇の前世の髑髏を託します。平太郎とみどり丸親子が、お柳との別れを惜しむ木遣り音頭の部分は、義太夫節の名曲のひとつです。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

2015-04-21

靭猿

狂言「靭猿」を人形浄瑠璃に仕立てた作品で、おめでたい雰囲気と人形ならではの表現が非常に面白い。演奏には次に続く二代目吉田玉男襲名披露口上にむけての祝祭性を感じた。
以下に簡単な物語の進み行きを紹介する。当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

靭猿
狂言「靭猿」が近松門左衛門作「松風村雨束帯鑑」の劇中劇として伝えられたもの。野遊山に出た大名と太郎冠者は猿曳きに出会います。大名の要求に屈した猿曳きは、断腸の思いで猿に手をかけようとしますが、芸をはじめる猿の様子に奇跡が起こります。御幣を持った猿の舞いは、猿曳きが行っていた武家の厩の厄払いをうつしたものです。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

2015-04-19

天網島時雨炬燵‐紙屋内の段


大阪・国立文楽劇場で上演された「天網島時雨の炬燵‐紙屋内の段」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

天網島時雨炬燵‐紙屋内の段

享保五年(一七二〇)十月の紙屋治兵衛と紀国屋小春の心中を扱った近松門左衛門作「心中天網島」は、同年十二月大坂竹本座で初演され、浄瑠璃・歌舞伎共通の題材となり、人物像や趣向に工夫が加えられました。「紙屋内」の前半は、「心中紙屋治兵衛」、後半は「置土産今織上布」から再構成されたものです。
治兵衛の恋敵の太兵衛は、治兵衛と小春の仲を裂こうとは謀っていますが、ちょんがれ節で治兵衛のことを謳う伝界坊が来合わせ、企みを孫右衛門に暴かれてしまいます。
小春を思い切ったはずなのに、ふぬけた様子の治兵衛。炬燵に伝わる夫の涙を見つけたおさんは、男の未練に愕然とし、妻としての恨み言がこぼれます。相手の受け答えに反応し、人物の感情が変わってゆくのです。"親にも替えぬ恋"を諦めた小春の態度に感じたおさんは、小春の命を救うため、子どもの衣類を質種にする辛さに胸が詰まります。夫婦の苦心を破綻させた五左衛門の言動には含みが持たされています。
治兵衛と小春は夫婦の盃を水盃で交わし、未来が暗示されます。五左衛門の本心は、孫お末の白無垢に認めた文の読み上げで分かる技巧が施されています。おさんの出家を知り、夫婦の感情は高まるものの、治兵衛が太兵衛らを手にかけてしまうため、心中する運命から逃れられないことになります。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより

人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

2015-04-16

絵本太功記

時代物の名作として知られる「絵本太功記」は「通し」で観劇すると面白いのかもしれない。
江戸時代より以前の武家物語を演奏する浄瑠璃は、江戸時代に生きる当時の民衆や作家がどのような政策のもとに暮らしていたのか、どのような動機で芝居を観たのか、たいへん興味深いが、現代の観客が各演目の見どころだけを上演する「見取り(みどり)」で人形浄瑠璃に満足できるだろうか。実際、平成19年(2007)東京・国立劇場小劇場ではこの作品の通し狂言を上演している。
今回の4月文楽公演は、二代目吉田玉男襲名の祝祭的感覚で演目を選んでいるようだ。

絵本太功記
読本「絵本太閤記」の刊行を背景に、寛政十一年(一七九九)七月、大坂道頓堀若大夫芝居で初演、近松柳(やなぎ)ほかの合作。武智(史実の明智)光秀の悲劇と真柴久吉(羽柴秀吉後の豊臣秀吉)の活躍を発端から十三段で構成。今回は光秀の一族が崩壊する十段目の上演です。

夕顔棚の段
尼ヶ崎に隠棲している光秀の母さつきの下に嫁操と孫十次郎の許嫁初菊が訪れ、嬉しくも哀しい祝言への期待が高まります。尼ヶ崎で秀吉が寺に逃げ込み、入浴した逸話を元にした旅僧姿の久吉、追う光秀が姿を現します。

尼ヶ崎の段
初陣を前に死を覚悟した十次郎と、妻として最初で最後の勤めとなる鎧支度をする初菊。女ばかりの参列者の中で二人は夫婦の杯を交わしますが、哀しくも切ない時間は陣太鼓の音に打ち切られてしまいます。風呂が沸いたのでさつきは旅僧に先に入るように勧めます。
光秀は自らの最期を連想させる竹槍で母を手にかけ、母は主殺しの罪の深さを責めます。操も悲痛な思いをクドキたて諫めますが、光秀は志を曲げません。父の安否を確かめようとした十次郎までも息絶えようとし、初菊の嘆きも頂点に達すると、さすがの光秀も落涙するという大落としの部分が全編の山場です。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


2015-04-14

伊達娘恋緋鹿子‐火の見櫓の段

過去の上演記録を紐解けば、この外題(演目)が上演された回数は多い。それは文楽が他の古典芸能または現代劇との決定的に異なる要素、人形劇ならではの舞台演出を実現できるからだろう。
人が火の見櫓に梯子で上ったとしてそれはそれで演技にはなるが、それを人形が上ると同じ場面で拍手が起こる。観劇する者は、人間では簡単なことを人形がどうやって演じるのか?そう思っている。それに予想以上の演出と技で応える。それが人形浄瑠璃文楽の真骨頂だ。選択肢の中から「敢えて人形でやる」というのではない、人形でしか得ることのできない感動を文楽は大昔から知っていたのだ。

伊達娘恋緋鹿子‐火の見櫓の段

安永二年(一七七三)四月大坂豊竹此吉座の初演、作者は菅専助ほかの合作。江戸の八百屋の娘お七が放火の罪で処刑されたのは天和三年(一六八三)。お七の罪は火の見櫓の半鐘打ちとし、華やかな演奏と独特な櫓上がりの演出で、冬の寒さとお七の熱い情念が鮮やかに演じられます。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


2015-04-05

二代目吉田玉男襲名-吉田玉女

4月4日に初日を迎えた大阪・国立文楽劇場の4月文楽公演は、吉田玉女の二代玉男襲名披露公演となった。
その演目は「一谷嫩軍記」、遣う役は「熊谷次郎直実」である。
初代玉男が磨きをかけ得意とした役を二代目玉男が大阪の本公演では初めて遣うこととなった。

今の文楽三業(太夫・三味線・人形遣い)の中で最も層が厚く、充実しているのは人形遣いではないだろうか。
蓑助と文雀の休演が相次ぐ中、玉女と同期の桐竹勘十郎と吉田和男、持ち味は違えども芸に脂がのりきった三人が今後の文楽を牽引していきそうだ。

「昭和43年の入門以来、約半世紀をかけて『女』から『男』へと変わります。年月が過ぎるごとに、師匠の芸の大きさを実感する一方で、師匠のされてきたことが私にそのまま出来るとは思いませんが、師匠の解釈を継承し、またこれまでの経験を活かし、これからも一層精進を重ねて参ります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。」
大阪・国立文楽劇場の鏡開きの挨拶に立った玉女は、そう語っていた。

4月大阪、5月東京文楽公演は見逃せない。

主遣い初代吉田玉男と左を遣う二代目吉田玉男。

2015-01-23

冥途の飛脚

昨年、大阪の初春文楽公演ではこの作品の改作「傾城恋飛脚」の中から「新口村の段」が上演された。
面白いことだが、今年の初春文楽公演と昨年のそれを両方観劇した者には、先にストーリーの完結を観て、1年後にその前段を観たことになる。
また、初春文楽公演は、物語自体にそれほど重点を置かず「道行もの」をはじめとする華やかな人形の舞踊、美しく豪快な演奏を新春ならではの背景を重視して上演される。

冥途の飛脚
題材は、宝永六年(一七〇九)頃に起こった亀屋忠兵衛の横領事件で、作者の近松門左衛門は、登場人物の行動を時に批判的に、時に哀れみを籠めた表現で描いています。初演は大坂竹本座で、正徳五年(一七一一)七月以前と推定されています。
主人不在の操業の危うさが描かれるうち、忠兵衛が登場します。催促に来た八右衛門も遊び仲間で、戯れに贋小判、贋証文の作成に加担してしまうなど、後の悲劇を思わせます。花街の灯りに心乱れ、魂が抜けてゆく忠兵衛の様子は、"羽織落とし"と呼ばれる演出で表現されます。
梅川を慰める浄瑠璃の演奏は、名妓夕霧が遊女には誠意はないとの批判に反論する「三世相」(近松門左衛門作)の利用で、梅川の心情を代弁するものです。花街はハレの場所、見栄と粋を最も大事とするところです。忠兵衛は自分ばかりか、好きな女までも侮辱されたと思い込み、小判の封印を切ってしまうのです。封印を途中で切ってしまうことは、公金を横領したのと同じことです。忠兵衛に翻意を促すために、梅川が自分は身を落としても忠兵衛を養うと言うクドキがききどころみどころです。獄門への踏み出してしまった忠兵衛は横領金を湯水のように浪費するばかりです。すべてを打ち明けられた梅川は忠兵衛と運命を共にすることを誓い、作者は"男"と"女"と表現していた二人を"夫婦"と呼ぶのです。
みぞれ交じりの雨の中、夫婦は駕籠に同乗し、忠兵衛の故郷大和の新口村へ向かいます。死に直面して、人の子としての弱さ、親への懐かしさが胸に湧く思いを描きます。

-平成27年「初春文楽公演」パンフレットより


国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成27年初春文楽公演

第1部(午前11時開演)
花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)-万才・海女・関寺小町・鷺娘
彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)-杉坂墓所の段/毛谷村の段
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)-道行初音旅

第2部(午後4時開演)
日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)-駒木山城中の段
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)-淡路町の段/封印切の段/道行相合かご



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2015-01-15

義経千本桜-道行初音旅

大阪・国立文楽劇場で1月3日から26日まで上演される「初春文楽公演」より第1部の外題「義経千本桜-道行初音旅」を幕見席で鑑賞した。新春らしい音楽と舞踊に、文楽ならではの緊張感が漂う素晴らしい舞台だった。


義経千本桜-道行初音旅

延享四年(一七四七)十一月大坂竹本座初演の「義経千本桜」は、源義経の都落ちの謎と平家一門のその後を描く全五段の時代物です。四段目の「道行初音旅」は、静御前が愛する源義経の元へ向かう道のりを描く趣向です。静の舞は白拍子(男装で歌舞を演じた女芸人)ならではの舞で、護衛役の佐藤との連れ舞、忠信が語る八島の戦物語が繰り広げられます。この忠信の振る舞いに奇妙な点があるのは、静が義経から賜った鼓を慕う、神通力を得た狐が化身したものだからです。花盛の吉野山を背景に、はなやかで豪快な語りと三味線の演奏で、道行物の醍醐味が味わえます。
-平成27年「初春文楽公演」パンフレットより


国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成27年初春文楽公演

第1部(午前11時開演)
花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)-万才・海女・関寺小町・鷺娘
彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)-杉坂墓所の段/毛谷村の段
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)-道行初音旅

第2部(午後4時開演)
日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)-駒木山城中の段
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)-淡路町の段/封印切の段/道行相合かご



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2015-01-08

初春文楽公演初日、文楽劇場の鏡開き

新春を寿ぐ国立文楽劇場の初春公演(1月3日~26日)は恒例の鏡開きで幕を開ける。
文楽人形による鏡開きは、30年前の開場以来毎年行われており、正月の大阪の風物詩となっている。
今年は、4月文楽公演で二代目吉田玉男を襲名する吉田玉女が挨拶の後、詰めかけた文楽ファンにお酒を振舞った。

劇場の理事長、文楽協会理事長、そして今回は文楽座技芸員を代表して玉女さんの挨拶があり、その後、黒門市場から「にらみ鯛」として縁起物の2匹の立派な鯛が届けられた。

人形を遣っているのは、吉田玉佳と吉田一輔。人形の右に吉田玉女が笑顔で酒を振舞った。

昨年は、引退した人間国宝・竹本住大夫がこの場を務めた。

大阪ならではの華やかなお正月、文楽劇場の鏡開きは、文楽ファンのみにとどまらず、大阪に暮らす多くの人々の楽しみのひとつとなっている。


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2014-12-22

菅原伝授手習鑑<通し狂言>

春の大阪、4月文楽公演(大阪・国立文楽劇場)で上演された「通し狂言 菅原伝授手習鑑」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

通し狂言菅原伝授手習鑑
菅原道真の劇的な人生は天神伝説として全国に広く伝わり、様々な文芸に脚色されています。人形浄瑠璃文楽の「菅原伝授手習鑑」は、近松門左衛門の「天神記」を元に、竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小出雲の合作により延享三年(一七四六)八月に大坂竹本座で初演され、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」とともに日本戯曲史上、三大名作と呼ばれています。第一部を菅丞相(菅原道真)が配流された物語を、第二部は丞相のために働いた三つ子の兄弟の悲劇を中心に上演します。(第一部は初段と二段目、第二部は三・四段目)

初段(大内の段/加茂堤の段/筆法伝授の段/築地の段)
来朝した渤海国の僧が天皇の絵姿を写すことを願いましたが、 醍醐天皇は御不例のため弟斎世親王が代理を勤めました。
その親王と右大臣菅丞相(菅原道真)の養女苅屋姫は、舎人桜丸と女房八重の仲立ちで、逢瀬を楽しんでいました。ところが、左大臣藤原時平の家臣に気付かれ、親王と姫は姿を消します。
書道の奥義を伝授せよとの勅命により、丞相は追放した家臣武部源蔵に筆法伝授を許しますが、追放は赦しませんでした。
参内した丞相は、「外戚の望みあり」との時平の讒言により九州大宰府へ流罪となります。混乱に乗じて源蔵と妻の戸浪は、舎人梅王丸から若君菅秀才を預かります。

二段目(杖折檻の段/東天紅の段/丞相名残の段)
警護役の判官代輝国の計らいで、丞相は伯母覚寿の住む河内郡領の館に立寄ります。苅屋姫を、実姉の立田前が引合せようとしますが、実母の覚寿は娘に折檻を加えようとします。それを止める丞相の声は、丞相自作の木像が発したものでした。
立田前の夫宿禰太郎とその父土師兵衛は時平に内通し、丞相の暗殺を企てていました。それを知った立田は太郎に殺されて池に沈められてしまいます。親子は一番鶏で出立すると丞相を奪うため、鶏に早鳴きさせようとします。丞相が贋迎いに伴われて旅立った後、立田の死骸が発見されます。太郎の仕業と悟った覚寿は、娘の仇を討ちます。
輝国は贋迎いの後を追おうとしますが、真の丞相が現れます。贋迎いが連れて行ったのは木像だったのです。覚寿は伏籠の中に姫を隠して対面させようとしますが、丞相は名残を惜しみつつ館を去るのでした。


三段目(車曳の段/茶筅酒の段/喧嘩の段/訴訟の段/桜丸切腹の段)
丞相の領地佐太村の百姓四郎九郎の三つ子の内、梅王丸と桜丸は浪人となり、吉田神社に参詣する時平の行列を襲います。これを阻んだのは時平に仕える三つ子の一人松王丸でした。父の七十歳の祝いが済むまではと、兄弟三人は矛を収めます。
祝いを機に四郎九郎は白太夫と改名し、八重を連れて氏神詣でに出かけます。入れ違いにやって来た松王丸と梅王丸は喧嘩となって、丞相が愛した梅松桜の内、桜を折ってしまいました。
梅王は丞相の元へ行くことを、松王は親子の縁を切ることを父に願い出ますが、松王の願いのみ聞き入れられます。一人残された八重の前に桜丸が現れ、加茂堤の一件の責任を取って腹を切ると言います。逃れられぬ宿命と観念して白太夫は念仏を唱えて送ります。白太夫は梅王丸に八重を託して九州に向かいます。


四段目(天拝山の段/寺入りの段/寺子屋の段)
九州の丞相の元には、佐太村の梅が飛び移って来ていました。そこへ梅王丸が、時平が送り込んだ暗殺者を捕らえて来たので、時平が謀叛を企てていると悟った丞相は、天神となって都の方角へ飛び去ります。源蔵夫婦は芹生の里で寺子屋を開き、菅秀才を育てていました。源蔵の留守中に、母親に連れられた小太郎が弟子入りにやって来ます。時平の家臣春藤玄蕃に、菅秀才の首を差出せと迫られた源蔵は、小太郎を身代りに立てることにしました。菅秀才と面識のある検分役の松王丸は、小太郎の首を菅秀才のものと断定します。小太郎の母が迎えに来ますが、実は松王丸の女房千代で、松王丸と図っての事だったのです。



国立文楽劇場開場30周年記念
七世竹本住大夫引退公演
人形浄瑠璃文楽 平成26年4月文楽公演
通し狂言 菅原伝授手習鑑

第1部(午前10時30分開演)
【初段】
大内の段
加茂堤の段
筆法伝授の段
築地の段
【二段目】
杖折檻の段
東天紅の段
丞相名残の段

第2部(後4時開演)
【三段目】
車曳の段
茶筅酒の段
喧嘩の段
訴訟の段
桜丸切腹の段-竹本住大夫引退狂言
【四段目】
天拝山の段
寺入りの段
寺子屋の段




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2014-11-25

二人禿

平成26年1月3日から26日にかけて上演された「初春文楽公演」、その千秋楽の第一幕は、新春に相応しく華やかで、優れた短編小説ですら表現し得ない人情を、悲しみや寂しさを、人のもつ可憐さ、可愛らしさを表現していたのではないだろうか。私たちが観劇した平成26年1月26日、千秋楽の演目は以下の通りである。

二人禿
昭和十六年(一九四一)四月、大阪四ツ橋文楽座で初演、野澤松之輔の作詞・作曲、山村若栄(初演の吉田文五郎の長女)の振付。
遊郭で行儀見習いのため、花魁に仕えている少女を禿といいます。
上方の花街を背景に、客と遊女の恋の駆け引きを間近に見聞きし、自然と大人びる少女たちの姿が描かれます。


-平成26年「初春公演」パンフレットより

人形浄瑠璃文楽 平成26年初春文楽公演
第1部(午前11時開演)
二人禿(ににんかむろ)
源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)-九郎助住家の段
傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)-新口村の段

第2部(午後4時開演)
面売り(めんうり)
近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)-四条河原の段・堀川猿廻しの段
壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)-阿古屋琴責の段



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2014-11-21

女殺油地獄

7月から8月にかけて真夏の大阪・国立文楽劇場で、「サマーレイトショー」と題して上演された「女殺油地獄」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

女殺油地獄
近松門左衛門作、享保6年(1722)七月大坂竹本座初演とされます。同じ頃油屋の女房殺しの事件が歌舞伎でも演じられたらしく、元になった事件があったことが推測されています。江戸時代を通じて再演の記録はなく、近代になって戯曲研究の面から再評価され、俳優によって試演されることになりました。人形浄瑠璃文楽では八世竹本綱大夫・竹澤弥七の作曲により豊島屋油店の段がラジオ放送にて初演された後、昭和37年(1962)四月道頓堀文楽座で徳庵堤・河内屋が野澤松之輔の作曲により通して舞台化されることになりました。他の近松の作品と同様に当時の社会体制が物語の根底にあり、また晩春から初夏の季節感が主人公の行動に深く関連付けられています。

徳庵堤の段
五月初めの野崎参りが大坂市民の行楽となったのはこの物語の時代で、陸路と船路の参拝者が罵り合って競り勝つと一年の幸が得られるとの俗信がありました。これを背景に、与兵衛の言動や同世代の仲間との交わりで当時の若者が描かれます。また、お吉との関係・距離感が後の与兵衛の行動の伏線となります。

河内屋内の段
大坂へ逃げ帰った与兵衛は、病床の妹に飲み込ませ、実父の霊が憑いたことにして、養父に家督を譲るように迫ります。番頭上がりの養父は先代主人の実子の与兵衛に遠慮していましたが、実母に手を上げるのに至り、与兵衛を勘当してしまいます。家という組織に属する者としていながら、与兵衛は守るべき秩序の破壊者として描かれています。その末路は組織からの追放=勘当という処分でした。鬼子を育てたのは義理の親子関係、その親子関係を結んだのも家という組織を守るためでした。

豊島屋油店の段
五月五日は端午の節句、その前日は商人にとっては大事な決算日に当たります。身の回りに凝りたい年頃の与兵衛が初夏に冬物の着物を着ているのは、返済期限を前にして首が回らないからです。勘当した息子のために互いの目を盗んで小遣いを調達する両親の心遣いを知り、改心したと与兵衛は語ります。これが本心なのか議論になるところですが、お吉は信用しませんでした。急ぎ働きも素人仕事、血と商売物の油をぶちまけ、外題の通り、店の中は地獄の有様となるのです。

同 逮夜の段
お吉の三十五日の命日の前夜、豊島屋に天の恵みか、下手人の手掛かりとなるひと品が現れます。容疑者は現場に戻るを地で行く与兵衛は、人々の追及に遂に観念し、自らの悪行を認め、その凶行の動機を明らかにします。秩序を乱し続けた与兵衛の存在は悪そのものでしたが、人として一片の心が残っていたとするのは、近松の儒教的な理想主義とも言うべき姿勢です。

-平成26年「夏休み文楽特別公演」パンフレットより


国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成26年夏休み文楽特別公演

第1部【親子劇場】(午前11時開演)
かみなり太鼓(かみなりだいこ)--小佐田定雄=作
解説 ぶんらくってなあに
西遊記(さいゆうき)
五行山の段/一つ家の段

第2部【名作劇場】(午後2時開演)
近松門左衛門没後290年
平家女護島(へいけにょごのしま)
鬼界が島の段
鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)
浜の宮馬場の段/浅香市之進留守宅の段
数寄屋の段/伏見京橋妻敵討の段

第3部【サマーレイトショー】(午後6時開演)
近松門左衛門没後290年
女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
徳庵堤の段/河内屋内の段/豊島屋油店の段/同 逮夜の段



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2014-11-18

双蝶々曲輪日記

現在、11月文楽公演(大阪・国立文楽劇場)の第1部で上演されている「双蝶々曲輪日記」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

双蝶々曲輪日記
近松門左衛門作享保三年(一七一八)正月大坂竹本座初演「山崎与次兵衛寿の門松」、同十年正月大坂豊竹座初演の「昔米万石通」の人物を用い、大坂市内と近郷を舞台に、全九段に再構成した世話浄瑠璃で、二代竹田出雲、三好松洛、並木千柳による合作です。外題(題名)は、濡髪長五郎と放駒長吉に共通する"長"の音と、二組の遊女とその情婦の物語を読み込んでいます。

堀江相撲場の段
大相撲の関取濡髪とにわか力士の放駒の関係は、濡髪が贔屓筋の身請け話のために放駒に勝を譲った事でこじれてしまいます。

大宝寺町米屋の段
米屋の跡取りながら、家業は姉のお関に任せてきょう侠客気取りの長吉は、仲間を家へ引き入れてしたい放題です。
濡髪と放駒の出入りが決着しようとするところへ、長吉に脅された、物を取られたという人々が現れ、絶体絶命の長吉にお関が真実を語ります。血を分けた姉と、対立していた濡髪の意見が通じ、長吉は分別を付け、濡髪と義兄弟になります。

難波裏喧嘩の段
与五郎は吾妻と足抜けの罪を犯した挙句、難波裏で郷左衛門に捕まってしまいます。駆け付けた長五郎は郷左衛門の凌辱に耐え兼ね、ついに郷左衛門に手をかけ、お尋ね者になってしまうのです。

橋本の段
与五郎は吾妻を連れて、妻のお照の実家橋本の治部衛門は娘可愛さと武家の体面を守るため、娘を離縁するなら二人を匿うつもりです。
与五郎の父与次兵衛は与五郎に厳しく当たる一方で、治部右衛門に対する気兼ねからお照を連れて帰るつもりです。二人の仲裁に入った駕籠舁こそ、吾妻の実父甚兵衛でした。元は一軒の店を構えた程の人物で、娘に身を引くことを迫ります。ところが吾妻にも女として与五郎に恩を受けた義理から別れることができません。吾妻の心根が治部右衛門、与次郎に、信条を曲げてまで子の為に出来ることを探らせます。

八幡里引窓の段
石清水八幡宮に近い八幡の里。明日に迫る放生会と月見の支度に忙しい元代官南方十次兵衛宅。母と嫁のおはやが留守を守る家へ長五郎が現れます。長五郎の意味ありげな言葉は母の心に影を落とします(通称"欠け椀")。
放蕩者であった与兵衛は、新領主の命令で現地に詳しい元代官の家筋として親の名を継ぎ、その仕事始めが長五郎探索の夜の番になりました。全てを察している十次兵衛に、母は長五郎の人相書を売ってくれと頼みます。人として守るべき行動(義理)と人間本来の感情の間で揺れる母は、血の繋がりよりも義理の関係を優先します。その行動が、十次兵衛に意外な行動をとらせるのです。引窓から差す仲秋の名月・放生会と秋の風物が劇の進行に重要な役割を果たしています。

-平成26年「11月文楽公演」パンフレットより


平成26年度(第69回)文化庁芸術祭主催
国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成26年 11月文楽公演

第1部(午前11時開演)
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
堀江相撲場の段/大宝寺町米屋の段/難波裏喧嘩の段
橋本の段/八幡里引窓の段

第2部(午後4時開演)
奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
朱雀堤の段/環の宮明御殿の段/道行千里の岩田帯/一つ家の段/谷底の段



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奥州安達原

現在、11月文楽公演(大阪・国立文楽劇場)の第2部で上演されている「奥州安達原」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

奥州安達原
陸奥国の豪族安倍氏を陸奥守源頼義・義家親子が討伐した戦(前九年の役)が終結した後を舞台とし、一族の再興を企てる安倍一族と源氏駆け引き、男たちの大望の陰で耐える女たちを描く五段構成の大作です。初演は宝暦十二年(一七六二)九月大坂竹本座で、作者は近松半二ほか。文楽劇場での三段目と四段目の上演は平成二年以来です。

朱雀堤の段
都の中心から離れた朱雀堤、闇夜にうごめく人間模様は、三段目・四段目の双方に繋がる伏線です。

環の宮明御殿の段
帝の弟環の宮の誘拐事件の手掛かりは、宮付きの女官吏の内侍に宛てた書状のみ。宮の守役平傔仗・浜夕夫婦は次女敷妙(八幡太郎義家の妻)の口上から敵味方に別れても敷妙を離縁しないという八幡太郎の意志を察します。そこへ八幡太郎が姿を現します(通称"敷妙上使")。
八幡太郎が公家桂中納言を交えて外が浜の南兵衛と称する安倍宗任を取り調べます。八幡太郎の厳しい究明、歌を詠ませる中納言の意図、源氏の白旗に、矢の根で血染めの歌(「平家物語」剣巻に掲載)を認める宗任の豪胆と、歌をめぐる問答にも謎が込められています。(通称"矢の根")。
父傔仗の窮状を知った長女の袖萩は、娘お君を連れて御殿に推参します。親の許さぬ恋を貫き家を出た袖萩は、夫と生き別れるうちに視力を失い、祭文で生活する身の上。武家の対面を守らねばならない親は、娘に祭文の演奏を命じます。破れ三味線で訴える袖萩、現在の境遇を幼いながらも弁えたお君の振る舞いが哀れを誘います(通称"袖萩祭文")。
袖萩は息子の清童の病死を知らされ、貞任の妻として八幡太郎に繋がる傔仗を討てと宗任に迫られます。ところが父の傔仗は切腹し、娘の袖萩も自害するという悲劇を迎えます。八幡太郎の周到な計略により、書状を手に入れたものの、桂中納言は貞任と正体を表すことになります(通称"貞任物語")。

道行千里の岩田帯
岩田帯は妊婦が安産を願って付ける帯の事。八幡太郎の密命を受けた生駒之助・八重幡姫に恩義を感じる恋絹夫婦は、新たな生命と共に、恋絹の故郷に向かいます。

一つ家の段・谷底の段
各地に伝わる鬼婆伝説の中でも能「安達原」(黒塚)を再現する趣向で、鬼婆岩手が残虐な行為を重ねる理由が物語の中核となっています。
最期を迎える恋絹の心残りは胎内の子の事でしたが、岩手は迷いなく水子を犠牲とします。岩手の意志の強さは亡夫の遺志を継ぎ、息子たちと共に国を興すことにあったのです。全ては十握の宝剣を探索する八幡太郎の掌中あったことを悟った岩手は、自らが手にかけた娘恋絹と孫の許に赴くことを選びます。
新羅三郎義光は義家を補佐する存在で、貞任から剣を受け取り、戦場での再会を約束します。

-平成26年「11月文楽公演」パンフレットより


平成26年度(第69回)文化庁芸術祭主催
国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成26年 11月文楽公演

第1部(午前11時開演)
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
堀江相撲場の段/大宝寺町米屋の段/難波裏喧嘩の段
橋本の段/八幡里引窓の段

第2部(午後4時開演)
奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
朱雀堤の段/環の宮明御殿の段/道行千里の岩田帯/一つ家の段/谷底の段