2015-04-24

一谷嫩軍記<二代目吉田玉男襲名披露狂言>

大阪・国立文楽劇場、4月文楽公演で上演された「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」のあらすじ、簡単な物語の進み行きを紹介する。またこの外題(演目)は二代目吉田玉男襲名披露狂言と銘打って上演された。
当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。

一谷嫩軍記
熊谷直実は一谷の合戦で息子の小次郎と同年輩の平敦盛を討ったことに無常を感じ、出家したいという俗説の真相に迫るのがこの作のねらいです。宝暦元年(一七五一)十二月大坂豊竹座で初演、作者の並木宗輔(千柳)の絶筆です。熊谷は初代玉男の当たり役のひとつで、新玉男にとっては大阪の本公演では初演です。

熊谷桜の段
物語の鍵となる制札の説明からはじまり、熊谷夫婦の意外な過去と敦盛の母藤の局との関係が明らかになり、運命の糸に引き寄せられるように、熊谷の陣屋に人々が集まって来ます。

熊谷陣屋の段
わが子の敵と迫る藤の局に、熊谷は敦盛を討ち取った状況を物語り、軍記物語の世界が鮮やかに再現されます。一方この間、藤の局・相模双方の反応を熊谷は探っていますが、その意味は後半に判然とします。義経の御前で、首実検に供える熊谷が制札とともに差し出した敦盛のは、小次郎のものでした。熊谷は制札の文言に込められた義経の意向を酌み、小次郎を身代わりにして敦盛の命を守ったのです。義経により弥陀六は前身を宗清と明かされ、現在と過去が繫がります。この芝居の中では中世の軍記物語の人物は、近世の封建社会に生きる人間で、武士道を貫くため人としての幸せを犠牲にし、その苦しみを業として受け止めて生きて行くのです。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


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