2015-04-16

絵本太功記

時代物の名作として知られる「絵本太功記」は「通し」で観劇すると面白いのかもしれない。
江戸時代より以前の武家物語を演奏する浄瑠璃は、江戸時代に生きる当時の民衆や作家がどのような政策のもとに暮らしていたのか、どのような動機で芝居を観たのか、たいへん興味深いが、現代の観客が各演目の見どころだけを上演する「見取り(みどり)」で人形浄瑠璃に満足できるだろうか。実際、平成19年(2007)東京・国立劇場小劇場ではこの作品の通し狂言を上演している。
今回の4月文楽公演は、二代目吉田玉男襲名の祝祭的感覚で演目を選んでいるようだ。

絵本太功記
読本「絵本太閤記」の刊行を背景に、寛政十一年(一七九九)七月、大坂道頓堀若大夫芝居で初演、近松柳(やなぎ)ほかの合作。武智(史実の明智)光秀の悲劇と真柴久吉(羽柴秀吉後の豊臣秀吉)の活躍を発端から十三段で構成。今回は光秀の一族が崩壊する十段目の上演です。

夕顔棚の段
尼ヶ崎に隠棲している光秀の母さつきの下に嫁操と孫十次郎の許嫁初菊が訪れ、嬉しくも哀しい祝言への期待が高まります。尼ヶ崎で秀吉が寺に逃げ込み、入浴した逸話を元にした旅僧姿の久吉、追う光秀が姿を現します。

尼ヶ崎の段
初陣を前に死を覚悟した十次郎と、妻として最初で最後の勤めとなる鎧支度をする初菊。女ばかりの参列者の中で二人は夫婦の杯を交わしますが、哀しくも切ない時間は陣太鼓の音に打ち切られてしまいます。風呂が沸いたのでさつきは旅僧に先に入るように勧めます。
光秀は自らの最期を連想させる竹槍で母を手にかけ、母は主殺しの罪の深さを責めます。操も悲痛な思いをクドキたて諫めますが、光秀は志を曲げません。父の安否を確かめようとした十次郎までも息絶えようとし、初菊の嘆きも頂点に達すると、さすがの光秀も落涙するという大落としの部分が全編の山場です。

-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


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