2015-04-30

二代目吉田玉男襲名披露口上

東京・国立劇場小劇場で5月9日から開幕する5月文楽公演でも大阪・国立劇場での「新玉男」襲名披露と同じ外題(演目)「一谷嫩軍記」が上演されます。
今回は大阪・国立文楽劇場で執り行われた「二代目吉田玉男襲名披露口上」の模様、実感を述べる。

伝統芸能の襲名披露口上の様式、やりかたは昔から変わらないはずなので今回、文楽の襲名披露口上を是非観たかった。文楽の場合は歌舞伎と違って名跡を襲名した本人は中央に座っていても口上を述べず、太夫、三味線、人形遣いの各技芸員の代表が舞台で挨拶する。昨年引退した竹本住大夫が七世住大夫を襲名する時の様子をテレビで観たが、やはり同じだった。
文楽は永い歴史をもつ舞台芸術なので、5代を超える大きい名前がたくさんある。それにもかかわらず、今回の吉田玉男襲名はわずか二代目というのが初代の凄さを物語っている。一代で「玉男」の名前を大きくした初代は戦後文楽のスーパースターだったということが理解できる。

同期の桐竹勘十郎、吉田和生は前列中央の二代目吉田玉男の下手(舞台向かって左)、中央を挟んで右に技芸委員太夫の代表として豊竹嶋太夫、そして三味線から鶴澤寛治が並び挨拶した。後列には、二代目玉男の弟子、門弟がずらりと揃い背景は玉男の紋で埋められていた。
二代目は若い時にアルバイトから文楽座の一員となってなっている。三味線の人間国宝鶴澤寛治はその点を「かわいらしい子供がこんなに立派に…」とあいさつの中で語った。これからともに文楽の中枢になるであろう同期の勘十郎は、挨拶の中で、良き友・良いライバルという言葉を使って、文楽の今後を同期の3氏で担っていこう、責任をもってやるのでどうかよろしくという意味の祝辞を述べていた。
司会は、竹本千歳大夫で口上最後の「ユネスコ世界遺産・文楽ならびに国立文楽劇場、また吉田玉女改め二代目吉田玉男を、ひとえに乞い願い奉ります…」がやはり上手かった。さすがだ。


このたび、文楽座の師匠・先輩方、初代玉男師匠のご子息のお許しを得、文楽協会、日本芸術文化振興会にご賛同をいただきまして、来年4月大阪公演、同5月東京公演にて師匠の名跡を継がせていただき、二代吉田玉男を襲名することといたしました。
昭和43年の入門以来、約半世紀をかけて「女」から「男」へと変わります。年月が過ぎるごとに、師匠の芸の大きさを実感する一方で、師匠のされてきたことが私にそのまま出来るとは思いませんが、師匠の解釈を継承し、またこれまでの経験を活かし、これからも一層精進を重ねて参ります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

吉田玉女
-平成26年(2014)10月27日シェラトン都ホテル大阪(大阪・天王寺区)


人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演

第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段

第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段


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