当座の観劇ガイドとするために、最も簡潔かつ適確に纏められている日本芸術文化振興会発行の本公演のパンフレットから写した。
通し狂言菅原伝授手習鑑
菅原道真の劇的な人生は天神伝説として全国に広く伝わり、様々な文芸に脚色されています。人形浄瑠璃文楽の「菅原伝授手習鑑」は、近松門左衛門の「天神記」を元に、竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小出雲の合作により延享三年(一七四六)八月に大坂竹本座で初演され、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」とともに日本戯曲史上、三大名作と呼ばれています。第一部を菅丞相(菅原道真)が配流された物語を、第二部は丞相のために働いた三つ子の兄弟の悲劇を中心に上演します。(第一部は初段と二段目、第二部は三・四段目)
初段(大内の段/加茂堤の段/筆法伝授の段/築地の段)
来朝した渤海国の僧が天皇の絵姿を写すことを願いましたが、 醍醐天皇は御不例のため弟斎世親王が代理を勤めました。
その親王と右大臣菅丞相(菅原道真)の養女苅屋姫は、舎人桜丸と女房八重の仲立ちで、逢瀬を楽しんでいました。ところが、左大臣藤原時平の家臣に気付かれ、親王と姫は姿を消します。
書道の奥義を伝授せよとの勅命により、丞相は追放した家臣武部源蔵に筆法伝授を許しますが、追放は赦しませんでした。
参内した丞相は、「外戚の望みあり」との時平の讒言により九州大宰府へ流罪となります。混乱に乗じて源蔵と妻の戸浪は、舎人梅王丸から若君菅秀才を預かります。
二段目(杖折檻の段/東天紅の段/丞相名残の段)
警護役の判官代輝国の計らいで、丞相は伯母覚寿の住む河内郡領の館に立寄ります。苅屋姫を、実姉の立田前が引合せようとしますが、実母の覚寿は娘に折檻を加えようとします。それを止める丞相の声は、丞相自作の木像が発したものでした。
立田前の夫宿禰太郎とその父土師兵衛は時平に内通し、丞相の暗殺を企てていました。それを知った立田は太郎に殺されて池に沈められてしまいます。親子は一番鶏で出立すると丞相を奪うため、鶏に早鳴きさせようとします。丞相が贋迎いに伴われて旅立った後、立田の死骸が発見されます。太郎の仕業と悟った覚寿は、娘の仇を討ちます。
輝国は贋迎いの後を追おうとしますが、真の丞相が現れます。贋迎いが連れて行ったのは木像だったのです。覚寿は伏籠の中に姫を隠して対面させようとしますが、丞相は名残を惜しみつつ館を去るのでした。
三段目(車曳の段/茶筅酒の段/喧嘩の段/訴訟の段/桜丸切腹の段)
丞相の領地佐太村の百姓四郎九郎の三つ子の内、梅王丸と桜丸は浪人となり、吉田神社に参詣する時平の行列を襲います。これを阻んだのは時平に仕える三つ子の一人松王丸でした。父の七十歳の祝いが済むまではと、兄弟三人は矛を収めます。
祝いを機に四郎九郎は白太夫と改名し、八重を連れて氏神詣でに出かけます。入れ違いにやって来た松王丸と梅王丸は喧嘩となって、丞相が愛した梅松桜の内、桜を折ってしまいました。
梅王は丞相の元へ行くことを、松王は親子の縁を切ることを父に願い出ますが、松王の願いのみ聞き入れられます。一人残された八重の前に桜丸が現れ、加茂堤の一件の責任を取って腹を切ると言います。逃れられぬ宿命と観念して白太夫は念仏を唱えて送ります。白太夫は梅王丸に八重を託して九州に向かいます。
四段目(天拝山の段/寺入りの段/寺子屋の段)
九州の丞相の元には、佐太村の梅が飛び移って来ていました。そこへ梅王丸が、時平が送り込んだ暗殺者を捕らえて来たので、時平が謀叛を企てていると悟った丞相は、天神となって都の方角へ飛び去ります。源蔵夫婦は芹生の里で寺子屋を開き、菅秀才を育てていました。源蔵の留守中に、母親に連れられた小太郎が弟子入りにやって来ます。時平の家臣春藤玄蕃に、菅秀才の首を差出せと迫られた源蔵は、小太郎を身代りに立てることにしました。菅秀才と面識のある検分役の松王丸は、小太郎の首を菅秀才のものと断定します。小太郎の母が迎えに来ますが、実は松王丸の女房千代で、松王丸と図っての事だったのです。
七世竹本住大夫引退公演
人形浄瑠璃文楽 平成26年4月文楽公演
通し狂言 菅原伝授手習鑑
第1部(午前10時30分開演)
【初段】
大内の段
加茂堤の段
筆法伝授の段
築地の段
【二段目】
杖折檻の段
東天紅の段
丞相名残の段
第2部(後4時開演)
【三段目】
車曳の段
茶筅酒の段
喧嘩の段
訴訟の段
桜丸切腹の段-竹本住大夫引退狂言
【四段目】
天拝山の段
寺入りの段
寺子屋の段
大きな地図で見る
0 件のコメント :
コメントを投稿